古代より、この今福の地に人が生活していたことは、つづら・万場・野々田などから石器や住居跡が発見されたことを見ても明らかで、古よりこの地方の要の土地であったと思われます。そう考えると、嘉保二年(1,095)今福松浦始祖となる源久(みなもとのひさし)が検非違使として西下され、この今福に居を構えたのも肯けます。これを機に今福はこの地方の政治上の中心地と成っていったのでしょう。
源久(みなもとのひさし)は今福の地に着した後、現在の今福神社で日を送り、新年を迎えました。それにより年の宮との呼び方が起こったといわれます。その折り神前に、付近に自生していた梶の葉に餅を三つ載せて供えたそうで、これにより「梶の葉」と「三ツ星」が今福松浦家の家紋になったとも。その後築城した山城を梶谷城(勝屋城)といいます。
梶谷城完成の後、後進に位を譲り、城より南西に2キロ半、城を遠く望む地(坂野免)に屋敷を建て隠居し、久寿元年(1,154)逝去されました。その後この屋敷を寺院としたのが宛陵寺です。伽藍は昭和29年(1,954)、地滑り災害を回避する為、現在の仏坂免に移築されました。旧宛陵寺はそのような歴史的遺産で松浦市指定文化財になっています。
現存する本堂本体は、嘉永二年(1,849)の建造と思われます。平成24年に入口部分を改修しました。