波上月光観世音菩薩(水月観音)

波上日光観世音菩薩(雲暘観音)

 

 

 

この2体の観音像は平成23年6月に竣工した、本堂向拝口改築工事の記念に奉安しました。

右の雲暘観音(うんようかんのん)は太陽を光背とし、昼間の世界を護るとされ、明るく照らすことによって、苦しみの根源である無明

(むみょう)を滅するのです。

左の水月観音(すいげつかんのん)は月を光背とし、夜間の世界を護り、やさしい愛しみの光で煩悩(ぼんのう)を消し去るのです。

観世音菩薩の姿に現すことで、私たちの命を支え、日常を護ってくださる事でしょう。

大権修利菩薩(だいげんしゅりぼさつ)

 

須弥檀の右上におられて、右手を額にあてて、遠くを見るような姿勢をした仏像です。

もとは中国の唐代の寺、阿育王山の鎮守でした。この寺は海を望んでいて、

近く航海する船の安全を保護するため、海を見わたすような姿をしているそうです。

一説に、1227年に道元禅師が中国より帰国する際に、航海を見守ったと言われ、さらにその時共に随身し、法を守ると誓った「招宝七郎(じょうほうしちろう)」と一体であると伝わっています。

よって曹洞宗寺院では「招宝七郎大権修利菩薩」として、仏法と伽藍の守護の

菩薩として祀られています。

(宝暦2年〈1752年〉10月黙旨和尚の代に奉安)

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

 

坐禅堂の中央で、獅子の上に坐禅を組んでいる仏像です。インド舍衛国のバラモンの家に生まれたとされています。

釈迦の十代弟子とも親交があり、仏典編纂会議(結集けつじゅう)にも関わったといわれます。

文殊菩薩の特性は、覚りへ到る重要な要素「般若の智慧」であり、それが一般的な「知恵」の象徴となり、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざを生みました。

特に禅宗では、修行僧の完全な姿を現す「聖僧(しょうそう)」として坐禅堂に奉安されます。獅子は智慧の象徴です。(平成6年3月奉安)

 

菩提達磨大師(ぼだいだるまだいし)

 

須弥檀の左上におられて、赤い衣を着て眼光鋭い仏像です。南インドのタミール族の王子として生まれ、お釈迦様の仏法を受け継ぎ、お釈迦様から数えて、28代目の祖師となります。

520年、インドから中国南方へ渡海し、内陸へ北上し、揚子江を渡り、洛陽郊外の嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)にて面壁坐禅(めんぺきざぜん)を生涯行じました。

これ以後中国で禅宗が栄えたので、中国禅宗の祖といわれます。ちなみに、達磨が面壁九年の修行で手足が腐ってしまい、それでも起き上がる努力を惜しまなかったという伝説から「起き上がり小法師」として玩具・縁起物のダルマが作られるようになりました。

また赤い衣を常に着ていたとされています。赤は除災・魔除けであり活気を現します。(宝暦2年〈1752年〉10月黙旨和尚の代に奉安)

 

祖師像(そしぞう)

 

左の室中の高座に祀られている三体の像です。右から「開山・大圭本珏(だいけいほんがく)大和尚」「高祖道元禅師」「左の像」は不明です。

(寛政7年〈1795年〉9月天瑞和尚の代に奉安)

 

十六羅漢(じゅうろくらかん)

 

内陣の左右の高座に祀られている十六体の仏像です。羅漢(らかん)は、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことで、漢訳では応供(おうぐ)といいます。中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢と呼び尊崇しました。また、第1回の仏典編纂会議(結集けつじゅう)に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して尊敬しました。ことに禅宗では、羅漢である摩訶迦葉(まかかしょう)に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となりました。(平成6年3月奉安)

 

十六善神図(じゅうろくぜんじんず)

 

 

転読大般若法要の折に、本尊のかわりにお奉りする掛け軸として描かれて

います。

本尊-釈迦牟尼世尊

脇侍-普賢菩薩・文殊菩薩

脇侍-法涌菩薩・常啼菩薩

両側-十六善神

下部-深沙大将・玄奘三蔵

 

なお、十六善神とは以下の通り。

 

提頭頼宅善神   緑青色。口を開き忿怒の相貌を現す。

盧勒叉善神    赤紫色。忿怒の相を現じ唇を閉じた形。

摧伏毒害善神   鬢、聳え立つなり。赤肉色。

増益善神     赤肉色。四臂、容は怒鬼なり。

歓喜善神     緑色。面体、忿怒なり。

除一切障難善神  黄色。瞋怒の相を作す。

抜除罪垢善神   裸形に赤緑色袈裟を被す。

能忍善神     空色。

       (以上が図の左側に立つ)

吠室羅摩拏善神  青黒色。瞋王の相を現す。

毘盧博叉善神   肉色。微笑の形なり。

離一切怖畏善神  形体は帝釈天の如し。

救護一切善神   青白色。相貌は毘沙門天の如し。

摂伏諸魔善神   髮毛、聳え立つ。黒肉色。

能救諸有善神   白緑色、顏貌は玉相なり。

師子威猛善神   肉色、師子の宝冠を載せる。

勇猛心地善神   甲冑を被す。緑色。

                         (以上が図の右側に立つ)

阿吽の白獅子(あうんのしろじし)

 

 

前机の両側の木像です。阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから宇宙の始まりと終わりを表したり、仏法のすべてを表現します。また、対になる物を表す用語としても使われます。特に獅子や仁王や狛犬など、一対で存在するのは、その場所が信仰の上で特別な空間であることを示します。ちなみに、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸といいます。

(昭和8年〈1933年〉4月得之和尚の代に奉安、平成7年12月修復)

威徳観音(いとくかんのん)

 

山門の右側、慈眼堂(じげんどう)に祀られている木像です。

観音さまは「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいいます。

インドの仏教遺跡においても観音菩薩像と思われる仏像が発掘されていることから、その起源はかなり古いものとも考えられ、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっています。この世の人々の様子や、願いを広く感じ取って、運んで下さる菩薩です。世間でもっとも多く奉られている仏様です。今福町だけでもいくつの観音堂があるでしょうか。六観音、三十三観音など多様なすがたかたちがあります。

威徳観音は「威厳があって、徳が高い」という名がついておられますが、大変リラックスした姿で、蓮の葉のうえに座っておられます。参拝する人々の心を和ませ、悩みや苦しみをすくい取ろうと発願されたお姿です。境内大改修、晋山式に合わせ奉安されました。(平成16年9月奉安)